創業は江戸時代 嘉永3年(1850年)
170年間、伝統の技を守っています。
旧店舗外観。木製の「住常」看板は、現在の店舗外観にも掲げられています。
昔の作業風景です。左の建物が工場。天日で干す工程は今も変わらず行っています。
飯田藩の御用染屋を務める
江戸時代、飯田市には多くの染物屋がありました。スミツネは当時は「住吉屋」と呼ばれ、代々「甚兵衛」を名乗っており「住甚」と称し、飯田藩の御用染屋を務めておりました。
当時の書に「御用 御染物所」「住吉屋甚兵衛」の文字が見られます。
初代から数えて現在は8代目。7代目の石黒純治は信州の名工・ものづくりマイスターにも選ばれました。
「飯田下伊那の染と織」著者 林 栄(昭和三十七年五月発行)より
獅子舞や祭りが盛んな飯田市
飯田市は獅子舞いやお祭りが大変盛んな地域です。組合ごとに伝統の獅子舞があり、お祭りには欠かせない存在です。毎年獅子舞フェスティバルや6年に一度のお練りまつりが開催されます。スミツネは獅子舞いの幌の染めを行っており、飯田下伊那のほとんどの獅子舞の幌・衣装を制作しています。
他にも祭の法被、神社幟、拝殿幕、消防団の半纏など地域の皆様とのつながりと伝統を大切にしております。
染物の守護仏をお祀りしています
日本密教の愛染明王は「恋愛・縁結び・家庭円満」などをつかさどる仏として古くから信仰をされています。
また、愛染=藍染と解釈し、染物(紺屋)職人の守護仏としても信仰されています。
当社の地元・長野県飯田市にも、愛染明王を愛染明王神として、祠を建てお祀りしています。
毎年、4月26日・10月26日に愛染様へお参りに行き、日頃の感謝をします。 (他の地域では、毎月26日お参りをされている所もあるようです)
昔ながらの染めの技法を継承
スミツネでは江戸時代から続く本染めの技法を継承しております。 伝統技法である「硫化染め」から、色鮮やかな「引き染め」、白地や生成り、既染め生地に適した「捺染」など用途とご希望に応じて適した技法で染めています。全て手作業で丁寧に行っています。
染料に浸して染める「硫化染め」
刷毛や筆でひとつひとつ色を入れる「引き染め」
ペースト状の染料を使用する「捺染」
職人ごあいさつ
染物処スミツネ(住常・住吉屋)は、記録が残っている限り、嘉永3年(1850)には、染色業(紺屋)を営んでおり、飯田藩(長野県)の御用染物屋を務めておりました。
代々、受け継いできた本染めは、仕入れた生地を熱湯で煮て余分な糊(現代は紡績糊)やゴミを落とし、 お客様からご依頼を頂いたデザインを下絵におこし、型紙を作り、専用の筒や作成した型紙を使い、防染糊(米粉や赤糠[ぬか]から出来た物)を置き、乾燥させ、染め、ゆすぎ、縫製をし、製品を完成させます。 この全てが、手作業で行われ、とても手間がかかります。
現在では、安価なインクジェットやプリントで作られる物も多くなっていますが、本物の染め物を求める方に現在でも愛されております。
8代目[社長(職人)]の石黒拓二は、最初家業を継ぐつもりは無かったのですが、これも我が家の流れか、兄が継がない(4・6・7代目も長兄ではありません)という事で20歳から2年間、名古屋の染工場で修業をし、22歳から祖父・父(信州の名工・ものづくりマイスター)と共に家業を始めました。
最初は継ぐ気のなかった私ですが、祖父・父から伝統の染め技法を習得するにつれて、その奥深さ・難しさ・仕上がった製品を見た時の達成感、そして何よりもお客様の喜んでいただいている姿を見ると家業を継いで良かったと思うようになりました。
時代の流れか、本染めの製品(暖簾・半纏)を求める声も小さくなり、 これからは、必要のない物で、辞めてしまおうかと思う事もありましたが、 それでも、本染めの製品をとご注文下さるお客様がいる限り、この伝統を守り・伝えていく事が、自分の役割(使命)だと思い、 日々、精進しております。
昔ながらの本染め製品は、 お客様のお店と共に使えば使うほど、味が出てきます。 本物の染め物「本染め」を皆さんに、お届けできればと思います。
〒395-0013 長野県飯田市小伝馬町2丁目3617
店舗営業時間 8:00~18:00